今回はすごく(いつも以上に)抽象的な話なんですが、みなさん少なからず一度はこう言った事を考えた事あるんじゃないでしょうか?
私なんてどちらかといえばこういった類はずっと考えてしまうタイプでして(;’∀’)
ずっとずっと自分なりに考えて考えて、でも?みたいな。今だってわかった訳ではありません。
でもここ最近、「これもひとつなのかな…」と感覚的に思えた事があります。
この題材については本当に難しく、これこそ十人十色でそえぞれ考え方が違うでしょうし、一生のうちに見つかる答えでもないかもと思うほどの難題ですが、
ちょこっとこちらで私の「愛」のお話をしてみたいと思います。
迷宮入りしている方がいれば、ちょこっとヒントになればいいな~と思います。
また、今まで考えた事がなければこれをキッカケに一度考えてみて下さい。自分の新たな道を発見できるかもしれません。
目次
これが「愛」のひとつかもと思えたこと。
これをご紹介する前に、何かに気づくときって今までの経験や気づくときの周りの色々な環境が重なり合ってそう思える(気付く)という事が多いのかな?と個人的に思っていたりします。今回も偶然にも(いや、必然的に)そういった環境が重なって思えた事だと思っています。
そしてその「愛」だと思える一つとは、「守る」ことだとその時直接的に思えたんです。
「守ること」とを思えたキッカケとは?
キッカケ①「鬼滅の刃」を観て
ご存じの方も多いでしょう、人気を博している「鬼滅の刃」ですが、私は本当最近までこの漫画とアニメの存在を知りませんでして(*_*;(ファンに怒られる発言だわ)
ちょっと前、毎週金曜日に関西テレビでアニメ放送をしているんですね。何がキッカケか忘れましたが、ビデオに録って観だす様になったんです。その中で主人公の「竈門炭治郎」が鬼の妹「禰󠄀豆子」を大切に想い、を鬼か禰󠄀豆子ら人間に戻すために炭治郎は鬼と戦うお話です。(昨日2時間放送していましたね!(^^)!バッチリ録画しました!)
その中で妹・禰󠄀豆子を守るためにどんなに傷ついても立ち上がる炭治郎をみる事で「そうか」と。思えた、これがキッカケのひとつです。
キッカケ②今の仕事
私はこの11月より、仕事のポジションが責任ある立場になりました。
一施設のリーダーをすることになったんです。
いい年齢の私ですが、今まで責任ある立場で仕事をしてきませんでした。
責任者とは、一緒に働いてくれるスタッフを自分で守っていかなかなければなりません。
「守る」とはとても深い言葉だと思っています。
指導することも守る事ですし、言葉通りそのスタッフに外部から危害を加えられれば守らなければなりません。
また、当人の精神的な面も支えていかなければなりません。
そのスタッフ自身が一人でしっかり考え仕事を進めていける様になるのもひとつの「守る」ことだと思います。
仕事で責任ある立場になったことでスタッフと関わる事全てがそのスタッフを守る事につながると思っています。
「守る」とは
自分意外の誰かを守る。いえ、自分に対しても言える事ですが、
誰かを何かを守ろうとすることは自分にとって、それは「疲れる事」だったり「しんどい事」や「傷ついてしまうこと」なんですよね。自分をある程度犠牲にすること。
自分が何かに対して「頑張る」ことをしないと、その対象を守る事は出来ないんです。
その何かは時間だったり、肉体的な事だったり、今最もわかりやすいのがみなさんがしている「仕事」
これが正しくなんでは?
当たり前な事です。頭で考えればすぐにわかる事なんです。きっと。
でも私は「愛について」「愛って一体なんなんだろう」「愛とは?」とずっと疑問に思っていた時にこの考え方、感じ方はできませんでした。
「親がこどもを助けるために犠牲になり、命を落とす」これが一番わかりやすい例えでしょうか。
「自分のこどもを守るために、自分の命を落とすかもしれない。でもそんな事よりも「こどもを助けたい」こどもだけでなくて自分のパートナーや本当に大切だと想えることに対しても。
こういった事例は究極の愛だなんで言われたりする事もあります。

「自分がしんどくても、その人の為になるなら頑張れる」
「どんなに疲れていても大切な人の為に働く」
「その人を守る事になるなら、自分が嫌われようとも苦言を言う」
これって
「しんどい」です。
「苦しい」です。
「辛い」です。
「痛い」です。
でもそれ以上に
「その人を守りたい」
そう思える事が「愛」なんじゃないかと。
守りたいと思うほどに愛おしい。
愛おしいと思うほどに守りたい。
愛おしいとはどんな気持ちでしょう? これも言葉にするのは難しいものですが
「愛おしい」想いとは、私個人的には「大切にしたい」「無償にかわいく思える」や「どうしようもなくたまらない」みたいな時です(笑)
同じ意味かな(#^^#)
この想いがあるから、しんどくても頑張れるんだと思います。
あなたは今まで、どれだけ「愛おしい」と思う事がありましたか?
この想いは不思議な力があると思っています。
人に絶大な力を与えてくれる。しかも自分からそう思い、自ら動くことができるんです。
そしてこの想いは「幸せ」と思わせてくれます。
幸せ
不思議に、そして背中合わせだと思うのですが、人が幸せを感じるには、自らしんどい事をしたりそういう想いをしなければなりません。
人は幸せの為にしんどい想いをする生き物なんだと私は不思議な感覚に捉われます。
深く考えると頭がおかしくなる感じ(笑)
表裏一体。なんですよね。しんどさがなければ幸せはない。
みんな幸せになりたい!とよく言いますが、その為にしんどさを自ら選択しなければいけない。
幸せを欲しているのに、しんどさを追求しなければいけない様な気持ちになります(笑)そう考えると変な感覚に私はなるのですが(笑)まるで途方もない、宇宙の話をしている時の様な感覚(笑)
でも最近少し‶これ‶がわかる様な気がします。「気がします」なので間違っているかもしれませんが(笑)
しんどい想いの中にみんなが求めている「幸せ」や「愛」「楽しさ」はあるんだと。
「しんどい」という表面の部分をまず経験して、そのしんどさをクリアーすれば「幸せ」や「愛」「楽しさ」に気づけるものなんだろうと。
「愛」といっても人の数だけあるはず。最終的には自分の「愛」を見つけて欲しい。

今日の私の話は、私の体験談なのであなたにはあなたの感じ方があり、色々な形があると思います。
それはあなたにしかわからないと思います。
でもその「あなただけ」を見つける為に、周りを見る事も大きなヒントになると思います。「違う」と思えば、それは自分から外せばいいでだけです。
おしまいに
すごく抽象的なお話になりましたが、この「愛」や「幸せ」ってきっと永遠のテーマなんだろうなと思います。
追い求めても追い求めても、見つからない。
「なんだろう」と疑問に思う事がすでに「追い求めている」ことに私はなっていた為に、全くわからなかったんだろうと思います。
そこに気づくことができれば、また違う視点を持てて、そこに近づくことが出来るんだと思います。
「守りたい」と思うことも「愛」「愛おしい」と思うことも「幸せになりたい」もただ欲しているだけでは手に入らない。
そしてただ欲していて‶やってきたもの‶は結局自分が求めていたものとは違うと思う事にもなりやすい。
本当の「愛」って自ら努力したものから、努力したその中にだけにしかないのかもしれません。
その努力も頑張れると思うかどうかは全てあなた次第。でもそういう想いになれた時は「自分が頑張ったから」ではなく、そう思わせてくれたことに感謝しているはず。
見返りを求めても何も手に入らないでしょう。
見返りを求めればその分何かを(気付かぬうちに)失っているでしょう。
本当深い。
また頭がおかしくなってきました。
今日はそろそろこの辺で。何かの足しになればいいなと少し思いながら
また…♡